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井伊谷宮

編集班 ヤソハチ

2021年の初詣に浜松市北区にある井伊谷宮に行ってきました。
井伊谷宮は、井伊家の菩提寺として有名な龍潭寺の北隣にあります。御祭神は後醍醐天皇の皇子「宗良(むねなが)親王」。親王は和歌に秀でておられたことから学徳成就・合格の神様として崇められ、また73歳と、当時としては大変御長寿で逆境をはねのけ各地を転戦したことから「長寿・除災開運」「道開き・交通安全」の守護神として信仰されています。

境内散策

大小2つの鳥居をくぐり、拝殿のある広場に入ります。広場は建物に囲まれた箱庭のような空間。天気もよく、穏やかな日和のなか、日本の年始の風景を堪能。

広場中央の御神木のまわりに隙間なく結ばれたおみくじ。一般的におみくじで悪い事が書いてあった場合、凶を神社にとどめて、吉に転じますようにと、願いを込めて結ぶ意味合いがあるそうですが、これだけのおみくじに囲まれると御神木様も大変ですな(笑)

幹のかたちが珍しい椎の木の御神木。

幹がより合わせた糸のようにねじれて伸びていることから、御縁・良縁を結びつけるご利益があるそうです。

拝殿

井伊谷宮拝殿

コロナ禍のため、鈴緒が取り外されていたのは残念

井伊谷宮/拝殿

いろいろな箇所に菊花紋章が用いられています

王政復古の象徴として、建武中興に尽力した人々を祀る神社が各地に建立。井伊谷宮もそのひとつで、静岡県内でも数少ない「官幣社」という格式高い神社です。
写真右に写る牛の絵は浜松市の画家、池谷さち子さんが奉納した油絵。井伊谷宮では10年ほど前から地元の画家に干支にちなんだ絵の制作を依頼しているそうです。

「神社参拝の作法」拝礼の仕方

資料館・休憩所

井伊谷宮御鎮座150年を迎えるにあたり奉祝事業として昨年(2020年)新設された資料館と休憩所。
資料館には御祭神宗良親王についてマンガを用いてまとめたパネルや、神社の歴史に関する資料等を展示されています。

井伊社(摂社)

本殿の向かって左奥にある摂社。
宗良親王及び、御子尹良親王(ゆきよししんのう)を補佐し、忠勤に努めた功績により、井伊道正公とその子高顕公が祀られています。お賽銭箱には伊井橘と(控え目に)井桁の井伊家の家紋があります。

宗良親王御墓

井伊社をさらに奥に進むと宗良親王御墓があります。井伊谷宮創建と共に御墓も修繕されたとのこと。
御墓は宮内庁所管地で、普段は写真のように門が閉められており、入ることはできません。毎年9月22日の例祭(御祭神の御命日)と正月期間(1日~5日まで)のみお参りできるように開放しています。

宗良親王 御墓/案内板参照

明治時代に入って間も無く、明治天皇は全国の御陵墓が荒廃著しいことを憂い、その修繕設備をお命じになられました。それと共に王政復古の象徴として吉野朝(南朝)方を支えた貢献者を祀る神社を創建するよう勅命を下されました。

これに伴い、後醍醐天皇皇子宗良親王薨去の後、およそ五百年に渡り代々その菩堤を弔ってきた井伊家の当主、井伊中将直憲(彦根藩最後の藩主)が、親王を御祭神とする井伊谷宮の創建と親王御墓の修繕を願い出たところ、井伊家の祖道政公と親王との特別な由緒をもって許可され、いずれもほぼ井伊家の負担にてなされました。

宗良親王一代記

宗良親王の伝記「宗良親王一代記」が井伊谷宮のホームページから読むことができます。
奥山方広寺建立にも深く関わった人物というのを初めて知りました。(方広寺の開祖である無文元選禅師は宗良親王の御弟)

さいごに

昨年はコロナ禍に翻弄された一年でしたが、変わらなければいけないことと、変えてはいけないことの大切さを考えさせられました。本年も変わらず、浜松LIFEでは浜松のものごとにとことん拘った丁寧な情報発信を続けてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

井伊谷宮基本情報
住所

〒431-2212静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1991-1

電話番号

053-542-0355

営業

通年 24時間

ご祈祷

車・バイク・自転車の祓い


安産祈願


初宮詣(お宮参り)


七五三詣


など

結婚式

最大50名様までご参列可能

駐車場

第一駐車場/30台


第二駐車場/50台

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この記事の寄稿者

編集班 ヤソハチ

浜松で生まれ育ってぼちぼち半世紀。幼少の頃、浜松市内から引佐郡(当時)に引っ越し、あまりの田舎っぷりに衝撃を受ける。でもそんな自然豊かな浜松が大好きです。浜松市のものごとを実際に行って、見て、聞いて、ていねいにお届けします。

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