編集班 ヤソハチ
浜松市民には馴染み深い秋葉山。標高866mの山頂近くにある秋葉神社に一度は行ったことがあると思いますが、秋葉山の中腹に「秋葉寺(しゅうようじ)」というお寺があるのはご存知でしょうか。
秋葉寺は秋葉神社のように車で向かうルートはなく、表参道(登山道)を徒歩で向かわなければいけません。
秋葉山の麓にある無料駐車場です。この日は天候もよく、格好の登山日和だったらしく午前9時で既に駐車場は満車でした。「中年おやじよ、無理はやめておけ」という権現様の思し召しだろうと引き返そうとしましたが、幸運にも?100mほど離れたところに臨時駐車場が設けられていました。
臨時駐車場も満車に近い状態。駐車場の整理員の方に「頑張ってください!」と元気に声をかけていただきました。
駐車場の案内看板には秋葉寺まで4.5km(125分)とあります。
所々に案内があるので、道に迷うことはないでしょう。
まだ駐車場から5分程度の場所ですが、案内板には秋葉寺まで90分とあります。駐車場の案内看板と時間差がありますが、ここは短い方(90分)を信じて先に進みます。
ちんまりした赤い橋(九里橋)が見えてきました。この橋がこれから続く上り坂のスタート地点です。
(私は張り切りすぎて、序盤に飛ばしすぎてしまい、後で大変なことになったので、あくまでマイペースを心がけましょう)
薪ストーブでしょうか。煙突から煙が昇るオシャレなカフェを横目に急勾配の石畳を登っていきます。
民家を抜けるまでの坂道の傾斜が結構キツイので、これがずっと続くのか??と思うとこの先が不安になってきました…
整備された石畳が終わり、いよいよ山道へ入っていきます。
山道に入ってからは、石畳より多少傾斜がゆるくなっていたので、ひと安心。
写真は出来るだけ他の方が映らないように撮影しているので、寂しく見えますが、駐車場の盛況具合からもわかるように、この日登山者は多かった印象です。小さな子供連れのご家族や、ご年配の団体、部活のトレーニングの一環でしょうか、山道を走り抜ける中学生もいました。
ひたすら一本道の山道を登っていきます。一歩で一段登っていた段差も次第に足が揃い出す始末…。体力はまだ余裕があるのですが、急に息切れが始まります。
山道に入って20〜30分でしょうか。思い返すとこの辺りが一番辛かった。
呼吸がどえらくて写真を撮り忘れてしまいましたが、山道には1km程度の間隔で、休憩できるベンチがあります。発汗もどすごいので、インナーを一枚脱ぎ、水分補給をしつつベンチでちょっと休憩。
息を整え、再スタートするとすぐに古い家屋が見えてきました。こうした歴史を感じられる風景が体験できるのも秋葉山登山の醍醐味だと思います。
ここは表参道の三十町目。往時は富士山をはじめ遠州灘や天竜川、そして犬居の町並みまで見渡せる景勝地でしたので、数多くの秋葉道者が店に立ち寄ってくださいました。しかし昭和十八年三月の大火で家屋が全焼、茶屋としての歴史の幕を閉じました。その後住居を再建して暮らし続けるも、寄る年波には勝てず昭和六十二年に山を下りることになりました。
いまは、思い出の詰まった母屋を残すのみ。
平成二十七年十一月八日
内山 淑子 記 九十九歳
だいぶ高所まで来たからでしょうか、木々の間を風が通り始めてとても心地よい。身体が慣れてきたのか、どえらいのもだいぶ落ち着いてきました。
秋葉三尺坊十二誓願の一つ「女人分娩の難除く」為 安産祈願をして大願成就の暁に底を抜いた杓を奉納する
安産成就のお礼の柄杓がたくさん。よく見ると、どの柄杓も穴が開けられていました。
山道のほとんどは杉の林道なのですが、一カ所だけ、鉄塔が建っている所が開けており、そこから富士山を見ることができます。
事前情報で楽しみにしていたポイントです。
この日、天気は良かったのですが…
残念ながら雲が多く富士山を見ることはできませんでしたが、景勝地として有名だったことが分かる絶景です。この場所にはテーブル付きのベンチもあり、おすすめの休憩ポイントです。
登り始めて1時間半、ようやく秋葉寺の山門が見えてきました。
道中、崩れてしまった灯籠や台座しか残っていない鳥居の跡などあるなかで、よく残っていたなぁ、とありがたい気持ちになります。後で触れますが、秋葉神社の山門は保存修理工事中でしたし、この風景もいつまで見られるのか…
秋葉寺は本尊として「聖観音菩薩」を祀るとともに、火伏せに効験あらたかな「秋葉三尺坊大権現」も祀られています。江戸時代当時は火災が多く、その被害も甚大だったことから、秋葉三尺坊の勧請を希望する寺院が方々から現れ、秋葉信仰が全国に広がったとされています。
東京の電気街「秋葉原」の地名も秋葉神社が由来しているのは有名な話です。
当寺が秋葉山山頂に伽藍を連ねていた江戸時代の中ごろ、御山の守護神である秋葉三尺坊大権現の火防の霊験を中心とした秋葉信仰が全国規模で爆発的な規模で高まりを見せ、四通八達した秋葉道をたどって数多の参詣者が御山を訪れるようになった。
明治十三年この地に堂宇を建て復寺を果たした後も真殿に秋葉三尺坊を奉祀しているので、この寺の通り名を「三尺坊」と言う。十二月十五日、十六日が例大祭日。
明治初年頃大火災の頻発により、東京市民の火災鎮護の祈願所として現在の秋葉原の地に建立された。後に鉄道駅の設置により現在地に遷座されたが、『秋葉原』の名も当社にその起源を発するものである。
寺務所で御札やお守りが販売されていました。何か記念が欲しくなりお守りを一つ購入。
登ってきた山道は秋葉神社(上社)にも通じていますので、秋葉寺からさらに0.8km先にある秋葉神社に行ってみます。
秋葉神社は昭和18年の山火事によりこの神門を除く全ての建物を焼失しています。
当門は江戸時代から残る建築物だったのですが、経年劣化のため、現在は保存修理工事中でした。どのような風景になるのか、楽しみに待ちたいと思います。
(2020年6月に起工式が行われ、工事期間をおよそ3年)
神門を通り過ぎると秋葉神社上社に到着です。(秋葉神社の情報はまた別の機会に…)
下りはノンストップで1時間ほどで表参道駐車場に着くことができました。人によって体力が違うので一概に言えませんが、山道も整備されていて危険な場所もないので、気軽に登山を体験できるとてもよいコースだと思います。ただし、無理をせずマイペースが大切です。後日、両足筋肉痛に襲われたのは言うまでもありませんが、若干の靴ずれもありました。準備不足を痛感…
また、秋葉寺へのアクセスは、車で秋葉神社→秋葉寺(秋葉神社から徒歩20分)という裏技?もあるのですが、歴史的な景観を楽しみながら向かう登山ルートがおすすめです。
編集班 ヤソハチ
浜松で生まれ育ってぼちぼち半世紀。幼少の頃、浜松市内から引佐郡(当時)に引っ越し、あまりの田舎っぷりに衝撃を受ける。でもそんな自然豊かな浜松が大好きです。浜松市のものごとを実際に行って、見て、聞いて、ていねいにお届けします。