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渭伊神社と天白磐座遺跡

取材班 ヤソハチ

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掲載情報は「2025年9月」時点のものです。最新情報と異なる場合がございますのでご注意ください。

先日、偶然のご縁で神主さんとお話しする機会がありました。とても大ざっぱな質問で恐縮だったのですが、「浜松でおすすめのパワースポットはありますか?」とお尋ねしたところ、「渭伊神社がいいですよ」と教えていただきました。

そのときは私自身の知識不足もあり、「どんなご利益があるのか」など詳しい理由までは伺えませんでしたが、まずは実際に足を運び、現地の雰囲気を体感してみることにしました。

駐車場

神社の横には、10台ほどの駐車スペースがあります。
井伊谷で名高い井伊谷宮から車でわずか3分ほどの場所にあり、井伊谷宮よりも少し奥まった目立たない場所ですが、週末ということもあってか、参拝に訪れる方の姿も時折見られました。
渭伊神社
拝殿前に設置されていた、渭伊神社案内看板を読んでみます…うーん、ちょっとわかりにくい…。
ここはAI先生にもう少しわかりやすく訳していただきましょう。
AIによる訳
引佐町井伊谷の天白にあり、境内は約2,530坪。老杉や古い桧がうっそうと茂り、北・西・南の三方を神宮寺川(別名:宮川)が囲んでおり、景観はとても優れています。

創建の年代ははっきりしていませんが、「三代実録」貞観8年(866年)一二月二六日条には「遠江国正六位上 蟾渭神(せんみかんじん)」として記録があり、また「延喜式神名帳」にも「遠江国引佐郡 渭伊神社」と載っています。

井伊家の祖先・井伊共保(いい ともやす)が寛弘7年(1010年)に神社の井戸から生まれたと伝えられ、それ以来、産神として厚く信仰されてきました。

もともとは龍潭寺の境内にありましたが、南北朝時代の争乱の際に現在の場所へ移されたといいます。古くから渭伊二十七郷の総産土神として崇められ、地元の領主・近藤氏からも篤く信仰されました。
内容がずいぶんと理解しやすくなりました。
現在、龍潭寺の東側には「井伊家の祖・共保公出生の井戸」がありますが、その井戸と渭伊神社との関わりについて、興味を持ちました。
御神木、天生杉

渭伊神社の御神木は、とても珍しい姿をしています。1本の枯れた杉が、まるで支えを求めるように奥の木へ寄りかかって立っており、その独特の佇まいが目を引きます。境内に御神木についての案内板が見当たらなかったため、詳しい由来は分かりませんでしたが、その姿は長い年月の物語を感じさせます。

拝殿

拝殿には、井伊家とのゆかりを感じさせる家紋がありました。

渭伊神社の御祭神は品陀和気命(ほんだわけのみこと)息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)玉依比売命(たまよりひめのみこと)

境内には渭伊神社の他にも小さなお社(神様)が祀られています。
境内は深い木々に包まれ、そよぐ葉音や隣に流れる神宮寺川の水音が心地よく響きわたり、澄んだ空気がより一層その場の清らかさを感じさせてくれます。

拝殿のお賽銭箱の隣に御札、御朱印、御守りが販売しています。

天白磐座遺跡

拝殿に向かって左側の山道を1分ほど登ったところにある「天白磐座遺跡」。巨石群を神の依代(寄りつく対象)とした古代の巨石祭祀場遺跡です。(県指定史跡)

磐座(いわくら)とは
神道で神が鎮座するとされる神聖な岩、または岩の周辺の空間。古くは社殿がなく、岩を神の依り代として祭りを行っていた原始的な祭場を指します。
御神木もそうですが、圧倒されるほど大きなものには、いつの時代の人々も神秘性や畏怖を感じてきたのだと思います。そうした感覚が積み重なり、やがて特別な存在として敬われるようになったのかもしれませんね。
渭伊神社と天白磐座遺跡へのアクセス
現在地から渭伊神社と天白磐座遺跡へのアクセス

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掲載情報は「2025年9月」時点のものです。最新情報と異なる場合がございますのでご注意ください。
この記事の寄稿者

取材班 ヤソハチ

浜松で生まれ育ってぼちぼち半世紀。幼少の頃、浜松市内から引佐郡(当時)に引っ越し、あまりの田舎っぷりに衝撃を受ける。でもそんな自然豊かな浜松が大好きです。実際に足を運んで、見て、聞いて、体験した浜松の魅力をお届けします。

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